<今月の禅語>

  微風吹幽松    微風幽松を吹く
  近聴声愈好  近く聴けば声愈(いよいよ)好し (寒山詩)




   幽松に微風が吹いての梢を揺らし、その微かな松籟の
   声を聴けば真に心地好いものである


 〜この語は寒山詩の中の一部節である。〜

欲得安身處  安身の処を得んと欲せば

寒山可長保
  寒山長(とこしなえ)に保つべし

微風吹幽松  微風幽松を吹く

近聴声愈好  近く聴けば声愈好し

下有班白人
  下に班白の人有り

喃喃読黄老
  喃喃(なんなん)として黄老を読む

十年帰不得
  十年帰る事を得れば

忘却来時道
  来時の道を忘却す


心やすめる安住の地を得ようと願うなら、

この寒石山こそ、ゆったり、のんびり身心を落ち着けられよう

ここは山深く、幽松に微風が吹いて、いつも心地好い松籟を奏でている

近づいて聴けば聴くほどその声は美しく心を洗うよう

松の木陰には白髪交じりの老人がいて

喃喃(ぶつぶつ)と声を出しながら老子の聖書をよんでいる

このように、すつかり、ここの生活になじんで十年にもなると、もう

昔の故郷も家も、そればかりか来た道さえもすつかり忘れ去ってしまったよ

禅語としての解釈は

寒山は単なる場所のことでなく清らかな悟りの

境地をあらわす。俗塵にまみれ、汚れた里に

対し、欲望、世俗を超脱し、妄想、分別を

捨てきった清浄無垢なる大安楽の境地になれば、

なんの思い煩うこともない。

自然と溶け合い、幽松の松籟を聴いている

自分が、いつのまにか松に、そして松籟と

なって、天地一枚の風光、境地にいる。



  〜寒山拾得図〜
松籟を物理的音響として耳で聞こうとしては味わえないところだ。

ここにいる熟変しきった老人のように、世の中のことも自分のこともすっかり忘れ

去って、幽玄の境地にあっても、この境地を得たならば、今までの修行の道なりや

悟りのことさえ忘れ去った。悟りの臭みさえ取り去った絶対の境地がある。


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