<今月の禅語>     〜朝日カルチャー「禅語教室」より〜


     泣露千般草 (露に泣く 千般一様松)

     吟風一様松 (風に吟ず 一様の松)  (寒山詩)



 唐の時代に、天台山というところに寒山と拾得 (じっとく)という禅僧が住んで

いて、詩や画を書いた。その人物達の残した詩が、「寒山詩」である。

 なおこの寒山なる人物は、初めは寒山という名ではなかったらしいがいつの間

にか、天台山という夏でも雪が残るような高山に住んで、この山を自分で寒山と

表現したところ、いつしか自分も寒山と呼ばれるようになってしまったようだ。

 やがて天台山の別名として寒山となって「寒山への路」というように山の名と

しても知られるが、さらにまた詩人としての寒山の名は更に有名である。


 この語は五言八句の中の五、六句を対句として、よく揮毫

されるし「吟風一様松」の語だけでも茶掛けとして珍重される。

 語意は「寒山の山路にしげるさまざまな草は秋露に濡れて、

あたかも涙をこぼして泣いているかのような物悲しさ表して

いるかのようだ。山路の大小の松は時に吹く風に颯々とした

一様の妙音を奏でてかのようである」という意で、これは

寒山の自然の風光を歌ったものであると共に、禅の境涯

での禅者、寒山自身の心境を表したものである。
 
 この妙なる松風の音も単に物理的音響として耳で聞けば、折角の妙音としての

松籟は禅味としての味わいは得られないだろう。五感のどこで聴くかが問題である。

露地たたずまいも茶室の四畳半の小さな空間にも大宇宙世界がある。茶の湯のちん

ちんと煮える音に松の吟ずる音を聴き、一輪の床の間の花にも自然の風光があり、

尊い命をみる。床の間の茶掛けから幽玄の世界がひろがる。一碗の茶に主客一体の

心を味わいたいものである。





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