<今月の禅語>
~朝日カルチャー「禅語教室」より~ |
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「自灯明・法灯明」は、釈尊が入滅される前に弟子に示された最後の教えだと いわれる。「他者に頼らず、自己を拠りどころとし、法を拠りどころとして生き なさい」ということである。「自己を拠りどころとし、法を拠りどころとせよ」 とは、釈尊の死が間近であったときに、師が亡くなったら、何に頼ればよいのか と嘆く弟子のアーナンダに対して諭された言葉である。 |
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弟子のアーナンダにとって、常に寄り添い仕えた、釈尊は 教えの導きの師であり心から頼りとする偉大なる師であった。 その師が亡くなってしまったならば、そのあと自分は、 誰から教えを受け、どうやって生きていったらよいのかと、 彼は途方に暮れてしまうのも人間感情としては仕方がない ことである。だがアーナンダの問いに答えて、「私や他者に 頼ってはならない。自己とダルマ(理法)を拠りどころと せよ」と釈尊は説かれた。 |
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ここで「法灯明」ではなく「自灯明」が先に来ているのは、お釈尊自らが 説いた法ばかりを頼らないで、まず「自分自身を拠り所にしなさい」である。 「法」を頼りにすることは、外部の決まりごとに従えということであるが、 ただ、法に従うことにのみ忠実になってしまって、法の奴隷になってしまう ことの無いように「己こそ己のよるべ」ということである。先にこの欄で 取り扱った「随処に主となる」の語と 「仏陀感興のことば」には この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして〈自分の〉主であろうか。 賢者は自分の身を調えて〈自分の〉主となる。 賢者は自分の身を調えて 〈自分の〉目的を達成する。賢者は自分の身を調えて〈自分の〉徳目を 達成する。 賢者は自分の身を調えて〈自分の〉名声を得る。 賢者は自分の身を調えて〈自分の〉名誉を得る。賢者は自分の身を調えて 〈自分の〉いろいろのしあわせを得る。賢者は自分の身を調えて〈自分の〉 天の世界に生まれる。賢者は自分の身を調えて〈自分の〉永く天の世界に あって楽しむ。賢者は自分の身を調えて〈自分の〉明らかな智慧を獲得する |
賢者は自分の身を調えて〈自分の〉親族の 中にあって輝く。賢者は自分の身を調えて 〈自分の〉悩みのうちにあって悩まない。 賢者は自分の身を調えて〈自分の〉 いかなる束縛も断ち切る。 |
賢者は自分の身を調えて〈自分の〉すべての悪い領域 を捨てる。 賢者は自分の身を調えて〈自分の〉すべての苦しみからのがれる。 賢者は自分の身を調えて〈自分の〉ニルバーナに近くなる。 自灯明・法灯明における「自己以外の何ものにも頼ってはならない」という ことの真意は、「自己の内奥に潜む仏性を認識し、そしてその自我本性である 仏性と、ダルマ(真理・理法)という、自己の内なる仏性と同質の‘絶対真理’ のみを頼りとせよ」ということなのである。 |